
「自分の周りや自分のいる環境、自分のしている仕事、
自分の持っているものなどに感謝することが
幸せになる秘訣だなんてよく耳にする。
たしかにそうだろうなって、頭では分かっているのだけれど
どこかで疑ってしまって自然と感謝ができない…
幸せになりたいからこそ、感謝の気持ちを持ちたい。
でも、どうしても、つい足りない部分にばかり注目して
不満を募らせてしまうんです。
自分は性格が悪いからしょうがないんでしょうか…?」
・・・
自分のまわりのいろんなことに『感謝』ができることって、
たしかに良いことのような気がしますよね。
一方で、J-POPなんかでもやたらと感謝感謝とやかましくされると、
「あやしい宗教か!」
とつっこんでしまいたくなる気持ちもよく分かります(笑)
全てのことに対してじゃないとしても、
自然と感謝ができるようになれるにこしたことはない。
という気持ちと疑わしい気持ちとの葛藤ってたしかにありますよね。
今回はこちらをテーマに考えてみたいと思います。
感謝と反対のネガティブ感情って本当にいらない?
人により細かい原因はまちまちではあるでしょうが、
自然に素直に感謝ができないことの根っこにあるものを
ひとつあげるとするならば、
自分の中のネガティブの否定・拒否
(もちろん自分自身が"ネガティブ”ととらえているものです)でしょうね。
たとえば、冒頭のお悩みの
「足りない部分にばかり注目してしまい不満がたまる」というのは、
「足りない」ことは100%悪いことだという否定・拒否です。
でもそれ、よく考えてみてください。
本当に100%悪いことしかありませんか?
自分の足らない点を人が知ることで、警戒感を弱めたりすることってないですか?
足らない部分があるからこそそれを補う努力に結び付くこととかありませんか?
じゃあ、良いことが100%なのかというとそんなこともありません。
やっぱり悪い点もあるわけです。
だいたいのことはあいまいなものですから。
だから、本来あいまいなものを「これだ!」って決めつけてしまうのは
ちょっと待ったほうがいいです。
怒り、憎しみ、不安、恐怖…
そういった一見不都合が多そうな感情であっても、
片っ端から拒否したり否定したりすることは、
長期的に見たらいいことは全然ありません。
“怒り”にもそのエネルギーを使って、
自分や家族や仲間を守ったり、
社会への主張を作品などにこめたりするという使い道があるわけです。
“不安”にも危険を事前に察知して回避するという重要な役目もあるわけです。
目を背けてしまうことでそれらは見落とされてしまいます。
なんてもったいない!そしてなんと恐ろしい!って私は感じます。